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2016年8月

2016年8月13日 (土)

リヒャルト・シュトラウス『ドン・ファン』



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リヒャルト・シュトラウス『ドン・ファン』の演奏を振り返りながら、私が描いた《ティル・オイレンシュピーゲル》を思う。

リヒャルト・シュトラウスが1888年に作曲した交響詩『ドン・ファン』。リヒャルト・シュトラウスは後期ロマン派の最後を飾る作曲家として位置づけられることが多い。それはシューマン、ブラームスの後継的存在として解釈されるが、彼が手掛けた作品の多くはベートーヴェンの田園交響曲を端緒としてベルリオーズの幻想交響曲、リストから始まる交響詩、ワーグナーの楽劇を経た後の時代を受け継いだ印象も強い。またその狭間には、バッハの無伴奏パルティータへのオマージュ作品を書き連ねたマックス・レーガーの存在も見え隠れする。

交響詩『ドン・ファン』は、17世紀スペインの伝説上の放蕩児、ドン・フアン・テノーリオ(Don Juan Tenorio)の人生をモチーフとした作品である。このような題材は、14世紀の北ドイツの伝説の奇人ティル・オイレンシュピーゲルの物語を主題とした交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』を想起させる。著名な交響詩『ツァラトゥスト...ラはかく語りき』も独特の音構成を織り交ぜながら迫力ある名作となっている。これらの作品は、作曲者自身がロマン派の流れを汲みながらも現代音楽の息吹を徐々に感じる中にあり、それでも古典派を意識し、全体を通じて色彩多様な音色によって構成されていることが分かる。

交響詩『ドン・ファン』と交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』には類似した旋律や主題が含まれている。現代的な不協和音性を孕みつつも、この両者の曲には、ドイツ正統派の精神的高揚感と冷静なる陰鬱さを行き来しながらも、花々が咲くような華やかさや爽やかさを忘れてはいない。これら全てが調和を目指す点は、ストラヴィンスキーの現代的風合いがある曲からは感じられない点でもある。よって、『ドン・ファン』や『ティル』においては、名旋律やこれらの性質や数多の部材が拮抗し、融合し、リヒャルト・シュトラウスの壮大な世界観を作り上げ、聴く者への強い感動を与える。

難曲に数えられる交響詩の一つを楽団は勇気をもって決然と成し遂げたのであった。弦が下支えし、管楽器が飛び交うための翼となる。まさに修練の先にこの音楽は演奏され、そして音楽芸術の女神が微笑んでいるような気がした。










椰子の丘

春先の頃だろうか。大里冑山の根岸家にて。根岸家当主の根岸友憲さん、俳人の金子兜太さんと。兜太先生の「椰子の丘朝焼けしるき日日なりき」、「海に青雲生き死に言わず生きんとのみ」という戦争を憐れみ、平和を願う戦後を代表する句を思い出している。

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最後の一音、ファニオラの響き。

バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調シャコンヌの一番最後の音。シャコンヌの長い戦いの末に安住の地へと到達する。この最後にこそ、美の境地がある。

バッハとレーガーのアルバムにおけるシャコンヌ。レカミエの彼女は技巧的にも世界最高標準であり、表現力も秀逸であるが、最後の最後に至る一音は、粗削りのように半音下げ、多少微動して終わる。それは何とも作品全体の完成度の高さからすれば、ぎこちない終点に思える。終わりに向けての急ぎのようにも感じられる。それは一種の若さによる効力であるのかも知れない。人生を経験し、その積み重ねの中で育まれる人間性や芸術性がその箇所に発揮されていくと捉えても良いのかも知れない。

このように考えた時、レカミエの彼女とともに、シャコンヌを生で音を聴く機会を得た私の個展での演奏を思い起こす。使用した楽器の名前からファニオラの響きと喩えよう。その演奏でのシャコンヌの終結部はまさに安住の地へと至り、更にその先へとゆっくりとした歩みを続けるように感じられる音だった。

このパルティータのシャコンヌを完璧に弾きこなすことはレカミエの彼女でさえも難しく、ファニオラの響きにおいても演奏者自身は到底満足できるものではなかったと振り返ったが、最後の一音が極めて重要となる。このシャコンヌに含まれる精神性や祈りの表現は最後の一音に委ねられているように感じられる。全身全霊を傾け、安らかな終わりを迎える。それは技術的な高さによって向き合うものではなく、若さや情熱で克服できるものでもなく、人生を歩み、様々な喜びや困難を経験したそのことが味わい深く反映されるということを強く感じた。ファニオラの響きが到達した最後の一音は永久不変の魂となり得た。

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レカミエの彼女へ

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番、記念碑的なシャコンヌ。私のようなちっぽけな画家がパルティータを描いたことは恐れ多い。19世紀末から20世紀初頭にかけて、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの系譜における正統な継承者であることを自認したマックス・レーガーはバッハに対する、パルティータとシャコンヌに対する絶大な敬意により無伴奏ヴァイオリン曲を作曲した。パルティータをいかに解釈し、自らの音を作り上げるかという戦いの一様に他ならない。バッハを継承する類稀なレーガーの情熱が迸るヴァイオリン曲。それを現代に引き継ぎ、ヴァイオリンによってバッハとレーガーの精神を再現したのが、レカミエの彼女なのだ

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短調から聴こえるもの


モーツァルト《アダージョとフーガ》ハ短調 K.546。後期三大交響曲と同時期に作曲され、第39番と同じ日に完成している。モーツァルトの音楽では高みを目指しながら明るさを放つ長調曲が真骨頂ではあるが、数は少ないが時折世に出された短調曲に作曲家が描く音楽世界の真なる姿を見ることができる。遺作となったレクイエムの他、交響曲では第25番と第40番のみが短調であるが、この異質性を放つ2つの曲はモーツァルトの芸術的昇華の成果としても捉えられている。人生の先を見越しながら、その総決算を予期したごとく、第41番のジュピターを最後に、モーツァルトの交響曲は幕を閉じたのであるが、まさにその意識の生じていたであろう時期に、《アダージョとフーガ》は作曲されたのである。

全体を支配する重々しさの原点は古い時代のバロックにあることは間違いなく、4つの弦楽による室内楽によって、モーツァルトは過去の遺産を解釈し、自身の芸術に対する自信を注ぎ込み表現をしたように思える。アダージョからフーガへ。一旦休止し、その冒頭にあるのが、この旋律である。チェロがアレグロにて勢い良く進み出て、ヴ...ァイオリンとヴィオラがポリフォニックにユニゾンとして呼応する。バロックの原像が見え隠れし、一瞬、モーツァルトの後姿が消えたように感じられるが、または、次なるベートーヴェンの足音を耳にするように感じられるが、あくまでモーツァルトによるバロックに対する、特にバッハに対するオマージュが音の世界を構築している。悲愴感をも含むが、それを乗り越えようとする決然とした強い意志が全体を覆う。この点が以降の古典派からロマン派に伝う精神性をいかに音に込めるかという問題意識と通じるために、ベートーヴェンやブラームスもこの曲から何らかの影響を受けたことが推察される。

モーツァルトは日常を生きる人間であり、芸術に心血を注ぐ作曲家であった。モーツァルトの人生は波乱万丈で厚みがあるも短かったが、前向きで明るさや推進力のある長調曲を相当な割合で作曲した。それは日常の負に対して、音楽に正を与えたという二元論的な解釈が妥当かは明言できないが、長調曲が百花繚乱の如く広がりを見せている。しかし、長調曲に潜む暗の部分より、短調曲に潜む明の部分にモーツァルトの意図があったと捉えることも出来よう。人生は辛くて苦しい。よって明るい音楽を作曲しようという動機に留まらず、自身の人生を投影したような重々しい曲の中から少しばかり加えた光や希望を抽出せよ。モーツァルトの音楽から思想性や哲学的な側面を見出す分析は多くないが、私は《アダージョとフーガ》にそのような姿勢や意識が含まれていることを考えている。


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《アダージョとフーガ》K.546

「第51回一期展」国立新美術館 (2016年9月28日~10月10日)に向けて、100号の新たな作品を。まだ何も描いていない中、モーツァルトの《アダージョとフーガ》K.546に関心を抱いている。真夜中の静寂。モーツァルトのハ短調から見え隠れする重々しい影。朝という希望。
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世界に生きる

世界の全貌を知ることはできないが、
その一部を描くことはできる。

J.S. Bach Partita 2 in C Minor, BWV 826: Sinfonia

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引き継ぐ


SNSなどにて歓喜院聖天堂を検索すると自分のフィードが出てくる。2003年から始まった平成の大修理。私が市教委として担当したのは、工事の延長が決まった終わりの2年間。その後の公開と国宝指定に関連する仕事に繋がる。県内初の国宝建造物という栄誉に浴したのも幸いなことであるが、大修理が始まった頃は妻沼町時代で、それ以降、行政も修理施工側も沢山の担当者が担い、引き継いできた。その最後と、新たな始まりの部分を自分が担当しているに過ぎない。極彩色の復元に強い思いを寄せながらも、多額の寄付を寄せながらも、完工を見ずして鬼籍に入られた方も大勢いる。18世紀、歓喜院聖天堂の建立に向けて挑んだ棟梁の林兵庫正清も完工を前に没し、その願いを子の正信に委ねた。18世紀の再建当時も、21世紀に入ってからの大修理の時も、その完成を前に叶えられなかった想いの数は数え切れない。だからこそ、仕事として与えられた機会を掛け替えのないものと捉え、時代を超えて引き継いでいこう。昨日、聖天堂の解説をしながら、そう考えていた。

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2016年8月12日 (金)

神籬

熊谷うちわ祭。曳き合わせ叩き合いを前にヴァイオリニストの後藤典子先生と幼馴染でお友達の新井紀代恵さんが正統派の浴衣で見物に来てくれた。前日のお茶会でもいらした方々のお着物や浴衣を見ながら、そのスタイルや趣向は多様であるが、その神髄には何か通じる美のようなものがあるのではないかと感じた。そして、この写真で注目すべきは、2人の横にある緑色の存在。これは榊(サカキ)を箱に納めたものであるが、神輿渡御を先導してきた「神籬」(ひもろぎ)と呼ばれる神を迎える依代(よりしろ)の一つである。神輿渡御に始まった熊谷の八坂大祭は長い時代を経て今に至る。この歴史は御仮屋の奥に立てられた祇園柱や神籬によって継承されてきたと言うこともできる。それ故に、着物の美と、祭礼の歴史が並存する様子は、偶然であるのかも知れないが、とても興味深く私の目に映った。

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黒のジャケットのシャコンヌ

先週までが締め切りだった美術家協会の会報誌に掲載される新会員としての文章。今日、どうにか原稿を書き終えて提出した。芸術と向き合い、理想の芸術を表現するためには多少なりとも自分自身を抑制しなければならないこともある。バッハと向き合い、バッハの芸術を表現しようとする彼女はそのことを思慮しているように感じられる。だからこそ、心を打つ。シャコンヌに黒のジャケットがとても良く映える。

https://www.youtube.com/watch?v=EVqbl95Ezv4

Guitar: 2015 Matthew Chaffin (http://tinyurl.com/q6umfah) Here's 15-year-old Olivia Chiang playing Bach's Chaconne, from the Violin…









文化財めぐりスタンプラリー

村岡地域の文化財めぐりスタンプラリー。マップ作りや説明板設置を実施した成果を皆さんと共に楽しんで学ぼうという企画で、私は現地説明のサポートをしつつ、全行程の約6kmを歩きました。一昨日、うちわ祭生中継のナビゲーターをした山本あやめさんも地域の子供会の誘導スタッフとしての役割を担っていました。時を置かずして別の現場でのコラボとなりました。そして、J:COMも取材撮影にいらしていました。暑い中でのスタンプラリーでしたが、たくさんの方々が参加され、とても有意義な行事になったと思います。

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熊谷うちわ祭。2時間の生中継。

熊谷うちわ祭。2時間の生中継番組での解説。
長いようであっという間のようで。
貴重な経験であり、重みのある仕事でした。

昨年より30分早い生中継であり、
クライマックス直後に終了したので、
その後、桟敷席に登り、
散り際の山車を見ることができました。



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星溪園うちわ祭茶会

雨から始まった星溪園うちわ祭茶会。それでも沢山の方々がお越しくださりました。氷点のお抹茶と三河屋さんの和菓子。金魚が泳いでいます。私も浴衣に着替えて受付をしました。コシノジュンコデザインの浴衣をお借りし、濃い檜皮色で、帯は絞りのへこ帯だそうです。相変わらずの番傘も活躍してくれました。

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祭フィールドワーク

神輿渡御の道程の約半分を同行した。お茶会サポート。生中継番組での解説。この仕事に就いてから、こんなに祭と関わるとは想像も付かなかった。

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