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2015年11月

2015年11月21日 (土)

「パルティータ第2番ニ短調」

またひとつ階段を上がり、新たな冒険が始まります。穏やかに時には勇猛果敢に。不器用でも真摯に。どんな状況であれ、努力と修練を続ける方法を模索しながら。そんな想いを込めて。

「パルティータ第2番ニ短調」
絵画と音楽という名の冒険に向けて、ご案内します。



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青のシャコンヌ

過日、波佐見にて絵付け体験した皿が焼き上がったとのこと。波佐見焼デビューは、トリコロールの色感。「青のシャコンヌ」

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空間の美が響く長島記念館

埼玉新聞、新たな熊谷ルネッサンスは「長島記念館」です。風光明媚な大里地域をスケッチ旅するような気分で書きました。そして、大谷石、フランク・ロイド・ライトとの不思議な関わり、バシュラールを絡ませながら。なんだか、ジビエ料理のような響き。

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2015年11月15日 (日)

パリという名の希望

私も大好きなパリに戦慄が走っている。ここ数年は足を運んでいないが、パリの面影を感じる時、心に大きなエナジーが生まれる。パリは躍動的でもあり、平穏でもあり、光り輝き、時には沈黙色でもある。遠く離れた場所にいる私の心の中にも、パリは存在し続けている。悲劇を超えて、パリという名の希望はとどまることを知らない。

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               凱旋門の下








哲学研究の冥利

「キルケゴールは納得しないだろう!」

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コペンハーゲン大学のガイスマーの著作。大谷長と、我が師の尾崎和彦先生による翻訳。私は以前から持っていたが、インターネットの古本屋で安価に販売されていたので購入。書き込みもあったことが、安価の理由かも知れないが、私としてはその内容に興味があったりするわけで。すると、役者代表の尾崎先生による後記の部分に、「キルケゴールは納得しないだろう!」という興味深い記述を発見。キェルケゴールについては神といかにして向き合うかというキリスト教思想に独自の解釈を与えたことで知られているが、そのキェルケゴールに対する理解に対して諸説ある一端がこの書き込みからも見えてくる。この批判が、ガイスマーに対して、または尾崎和彦に対して、双方を伴っているが、悪い気はしなかった。そして、哲学や宗教研究を進める中で批判的見解が与えられるのは、哲学研究の冥利に尽きると共に尊いことなのだと感じている。















2015年11月 5日 (木)

目的地への歩み


文化の日の熊谷ルネッサンス。モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」から重要文化財「平山家住宅」について考える。小林秀雄を媒介として。

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2015年11月 1日 (日)

シューベルトとショスタコーヴィチ


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シューベルトの未完成交響曲は第7番なのか、第8番なのか、はたまた第9番なのか、全集の解釈や番号付け方法などにより、いまだに表記に差異がある。グレート交響曲が、壮大なモーツァルトからの道とすれば、未完成は明らかにベートーヴェンからの道を進んだものと考えられる。冒頭のオーボエによるシューベルトの静かな足音から、中盤から後半に掛けての壮絶な抵抗の旋律。ベートーヴェンは運命の扉を開くのに対して、シューベルトはあくまで運命の扉に抵抗し続けたのではないか。私はそう考えながら、第2楽章だけで未完成は完結していることを改めて感じている。

ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、自身の名誉挽回のために書かれた。前作によって当時のソビエトにおける体制の反逆者と批判された中、次なる作品が彼にとり極めて重要な課題であった。特に歪な政治体制の中で生きる芸術家として、逆にそれ故にこそ、そこにある体制という括りを超越しない範囲で芸術を表現する必要があった。その括りを打ち破ることが真の芸術だという捉え方もあるだろうが、芸術家自身が身を置く世界の中で、その限られた領域の中で、可能な限りの力を発揮することが重要だ。まさにそこに潜む抑制や縛りと向き合いながら自らの芸術のエッセンスを作り上げることが、芸術家に求められる力量のひとつなのだ。ショスタコーヴィチ第5番は、起死回生を目論んだ壮大な作品として長く語り継がれている。果たして作曲家の真意がそこにあるかどうかは微妙であるが、時代という枠の中で、長く芸術表現を続けたいという彼の渇望感を強く感じざるを得ない。この意味からも、この交響曲は凄まじい威力を持って、我々を奮起させ続けている。

軽井沢、千駄木、イタリア、長崎

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秋の紅葉に包まれての船出から一年。色々あったなあ。一生は一度しかないから、「軽井沢、千駄木、イタリア、長崎」というエセーを書くことにしよう。そして、感謝を。









早書きで歴史を記す。

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今年9月に刊行された写真集『ふるさと熊谷』。解説と膨大な写真キャプションを担当した。この写真は現在の刀水橋ができる前の架橋である妻沼大橋。それを背景にした4人の若者。初めて見る写真に解説を加えることは難しいが、私なりに書いてみることにした。兎にも角にも、お馴染みの写真もあるものの、このような初見のようなキャプションを100枚くらい書いた。何とも苦慮したが、締め切りが近い中、極力残業せずを目標に、早調べ早書き原稿でどうにか切り抜けた。天賦の才は無いが、絵画も文章もモーツァルトタイプなのだと自分にまじないを掛けているような気がしている。










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