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2015年8月

2015年8月29日 (土)

軽井沢タリアセンから想う

軽井沢タリアセンへ。自然、芸術、文学、歴史的建造物と対話する。旧朝吹山荘「睡鳩荘」では、朝吹家のルーツを知るなど、新たな発見もあった。フランス文学者の朝吹登水子、サルトル、ボーヴォワール、サガンに想いを馳せながら。



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一期会・第50回記念展


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準会員として属している一期会。今年はなんと第50回記念展。長い歴史の中で、このタイミングで参加できることは幸運だと思う。9月30日から六本木の国立新美術館にて。100号を出品予定。まだキャンバスは真っ白で、いつもと変わらず、ぎりぎりの戦いとなるだろう。




熊谷空襲の記憶を次世代へ

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埼玉新聞に紹介された鯨井邦彦さんが刊行した「熊谷空襲証言資料集」の最後の一節には、このように誠にありがたい言葉が書かれていた。私はこの70年間という長い歳月の中で、ほんの一部の時間にしか身を置いていない。まだ、解明されていないことは数多くある。今となっては辿り着くことが不可能な事実もあるだろう。戦争と平和を考える時、課題は山積している。それでも私は向き合い続けていこう。このリレーを続けていこう。改めて、そう決意をした。







バッハによって紡がれたパルティータ

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真夜中のBWV826。18世紀前半、歓喜院聖天堂の建築が着手された時期と同じくして、バッハによって紡がれたパルティータ。冒頭シンフォニアの暗さから、光の一粒が零れ落ちるアンダンテへと進む。しかし輝く光ではなく、寂しく光を放つ。この旋律の叙情性の先に、聖性を感じずにはいられない。






エリック・サティとその時代展


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Bunkamuraへ。エリック・サティ、そして私の最大の目的であるジャン・コクトーと語らうことができた。サティの音楽が流れる展覧会。我が大学時代の西洋美術史の師で、ミュージアム主席学芸員の宮澤政男先生がキュレーションと図録翻訳を担当している。








熊谷聖パウロ教会

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埼玉新聞、熊谷ルネッサンス。「熊谷聖パウロ教会」。軽井沢、コクトーとのつながり。煉瓦色っぽく色を新聞の色を修正。









2015年8月22日 (土)

北村西望と富永直樹、長崎そして熊谷。


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北村西望と富永直樹という師弟の彫刻家をめぐる熊谷空襲についての記事が、本日の毎日新聞埼玉版に掲載された。北村西望から富永直樹へ。熊谷市星川の「戦災慰霊の女神像」の作者である北村西望の彫塑大成を個人的に購入しようとしたことから始まった不思議なストーリー。インターネットで購入して、手元に届き、図録を開いてみると、北村西望から富永直樹へ宛てられた筆記録や手紙が封入されていた。富永直樹は北村の女神像に近接する広場に設置されている彫刻像「新風」の作者である。この図録について、富永直樹の子息である富永良太氏に連絡したところ、富永直樹の没後、邸宅の解体に伴う蔵書の整理の際に所在不明になっていた図録であることが判明。本書を富永氏へ返却することを伝えたが、北村と富永の彫刻がある熊谷に辿り着いたことに驚き、由縁のある熊谷で保管してほしいという言葉を頂いた。戦後70年、不思議な運命線をたどる神様の粋な計らいだったと思い巡らしている。






アルペジョーネソナタ第1楽章


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私がシューベルトのアルペジョーネソナタ第1楽章の冒頭で、一人の乙女が諧謔を弄して、そっと目を逸らすと想像しているのは、このクレッシェンドから次のピアニッシモに連なる部分で、希代の名旋律だと思う。








コクトー、ヴァイオリンソナタ。




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ジャン・コクトーの図録を紐解く。20代前半のコクトーと出会う。20代前半の私が強い影響を受けた芸術家。詩、小説、戯曲、評論、そして絵画、デザインから独特の世界を作り上げた。私は比べようもない小さな小さな同業者だが、彼の詩や絵を目にすると、勇気が湧いてくる。そしてまた、私は毎朝、セザール・フランクのヴァイオリンソナタを聴いている。その中でも、第4楽章の旋律が美しく、今日一日頑張ろうという前向きな気持ちにさせてくれる。想像の中で弾くヴァイオリ二ストへのオマージュを込めながら、一日が始まる。日々難題も多いが、コクトーの芸術のことを想い、フランクの旋律のことを想うと、勇敢になれる。或る意味、それは朝のオレンジジュースやコーヒーみたいなものだと思う。







崇高なる



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昨年、テラコッタ焼成した《十字架、アンビバレンスな愛》を書棚に置く。十字架を背負う図録、全集。ふと日本国憲法の前文を思い出した。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」高い意識を持つ決意表明であり、強烈なラブレターと思えるくらいに。闇が広がる海を照らす灯台のような気がした。灯台に十字架を、アンビバレンスな愛を。










2015年8月16日 (日)

オーフィオコーディセプス・ユニラテラーリス・エス・エル


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毎年ロンドンで開催されているクラシックスイベントである「プロムス」。今年、2015年の現代音楽のセクションでは、日本人作曲家の薄井史織が新作を発表した。それも彼女は埼玉県出身。1981年10月21日生まれの若き作曲家。余談ながら、微妙に私の生年月日と似ている。新聞紙上やメディアでは余り話題になっていないが、プロムスでの登場は、例えば日本文学での芥川賞を凌駕する快挙だと思う。今回発表した曲名は「オーフィオコーディセプス・ユニラテラーリス・エス・エル」。増殖する類縁菌に基づく命名らしい。コンテンポラリー な現代音楽の響き。音の意義を理解することは私も毛頭考えていない。ともあれ、彼女はすさまじい音楽をプロムスで放ったのだ。











2015年8月14日 (金)

ヒューマニズムとは

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実存主義として知られるサルトルであるが、自ら実存主義を正面から語った文章は、この講演録の小冊子しかない。すなわち、実存主義はヒューマニズムであると論じる。サルトルが捉えるヒューマニズムは今の時代感と幾分かの差はあるものの、示唆する内容は多い。戦争と平和に対する敏感な理性は、その当時を生きた哲学者ならではの意識に基づく。単に平和の重要性を説くだけでなく、過去の悲劇を否定するだけでなく、より現実的に、ヒューマニズムに即して未来を志向する。空想的社会主義に見られるようなユートピア論に近い平和主義ではなく、理想や理念を演繹的に据えて語り掛ける平和主義でもなく、多少の保守性を込めたヒューマニズム的平和主義を提示する。これがサルトルの実存主義から見える現代の平和に対する解釈なのではないかと思う。この観点から今日における戦争や平和に関するメディアや新聞記事に向き合うと、その深層に含まれる新たなもの、真なるものが見えてくるような気がする。












熊谷花火大会の日の回想

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ねえ。おばあさま。今日は熊谷の花火大会でしたよ。あなたは昨年の花火を最後に、今年の花火を見ないままにこの世を去りました。空の高い位置から眺める花火はいかがですか。花火は一瞬にして消えゆく光です。今年の桜が最後の桜になるのではないかという想いと同じく、今年の花火を見た人もいるのではないでしょうか。そんな想像もせずに、生きることは幸せなことです。あなたは自ら生きることに精いっぱいで、外の世界で何が起きているのか。それはどうでもよかったことなのかも知れません。花火の光も音もどうでもよかったのかも知れません。一生は長く、一生は短い。毎年1回の花火大会を見たとしても、数は限られることでしょう。無限のごとく広がり、散らばる火花を愛でる。このはかなさに気づいた時、今を生きるということを実感します。あなたが愛でた熊谷の花火を見て、私はたくさんの勇気をもらえたような気がします。嗚呼、まだ、花火の音が耳の中でこだましていますよ。消えゆく光も、いつかは静寂に変わる音も、私の頭の中に残り続ける限り、永遠に存在するのでしょう。悲しみも、喜びも、孤独も、楽しみも、戸惑いも、力強い意志でさえも含みながら、いつの時代も花火は輝き続けるのでしょう。永遠の中の一瞬の花火。今年の花火は本当に美しく目に映りました。明日も熊谷は酷暑となるでしょう。それでも、少しずつ、少しずつ秋の足音が聞こえてきます。こうして、また新たな季節が始まるのです。










2015年8月10日 (月)

広島、そして長崎。

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70年目の広島、そして長崎。
私は漫画を全く読まないが、漫画の刊行後、テレビアニメになった「MASTERキートン」のCHAPTER 5「屋根の下の巴里」は余りに強い印象を与え、今の私の仕事へと繋がるきっかけとなった。

主人公のキートンと師のユーリー・スコットの若き日の記憶と現在とが結びつくというストーリー。その発端は第二次世界大戦のロンドン。ナチスによる連日の空襲を受ける中、ユーリー・スコットはそこにいた。大学教授のユーリーは学び舎も破壊され、がれきの山となった場所でこう伝える。「さあ、それでは諸君、授業を始めよう。後15分ある。敵の狙いは我々英国民の向上心をくじくことだ。ここで私たちが学ぶことを放棄したら、それこそヒトラーの思う壺だ。」この言葉をユーリーの逸話として聞かされていたキートン。翌日に解体が決まっている社会人大学の講師を務めていたキートンは、その授業の最後にユ
ーリーの言葉を引用して次のように語った。「今こそ学び、この戦争のような殺し合い、憎しみ合う人間の愚かな性を乗り越え、新たな文明を築くべきです。愚かな行為が人間の性だとしたら、それを学び克服することは人間の使命と言えるのではないでしょうか。どうか皆さん、これからも学び続けて下さい。私も何があっても研究を続けていきたいと思います。」

私が生まれ育った熊谷も終戦直前に大きな空襲を受けて、多くの人命が失われた。私も今年はその70年目の夏の中で、私が生まれる前の過去と向き合いながら「学び」を続け、在野の中でも研究を続けていきたいと考えている。そして、改めて思う。愚かな行為が人間の性だとしたら、それを学び克服することは人間の使命なのだから。







2015年8月 6日 (木)

アイネクライネ

久方ぶりにヴァイオリンケースから出してみたが、嗚呼、どうにか音が鳴るレベル。案の定、猛暑のせいか、松脂が溶けては固形化したようで蓋が開かない。継続こそ、本当の力だ。


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