« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »

2013年12月

2013年12月31日 (火)

絶高の青

Imgp2856a



新たな年も、絶高の青を目指す。

9月の記憶

京都で特別警報を経験し、熊谷では竜巻被害があった。
そして文化財レスキューを行い、暗闇の中から光明を見出した。
NHKニュースにて取り上げてもらった。9月の記憶。
写真は東福寺にて。


65010_512478288831057_386210114_n




2013年12月27日 (金)

2013年を振り返る。

仕事納め。仕事や私事、メディア対応など、主だった側面を中心に一年を振り返ってみる。

1379789_534161263328653_1053579502_


1月 勤労者文化展に出品(「3月9日」・「忘れえぬ人」)
1月 市報の文化財特集記事の執筆、掲載を開始。
2月 二人展「フォルムの変奏」を開催する。
2月 一期展春季展に出品(東京都美術館)
2月 愛染堂の毀損状況について埼玉新聞にコメント掲載される。
2月 「絹本著色阿弥陀聖衆来迎図」の重要文化財指定が決定。読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、埼玉新聞にて紹介される。
3月 熊谷さくらマラソンに出場。
4月 熊谷市美術展に出品(「リルケの詩 ニーチェの春」)
4月 荻野吟子没後100年記念事業の調査として北海道せたな町へ行く。
4月 重要文化財「平山家住宅」を活用して楽しむ会発足に伴うイベント協力。毎日新聞、東京新聞、朝日新聞にて紹介される。
5月 国立劇場にて歓喜院聖天堂パネル展開催。
5月 荻野吟子パネル展、リーフレット作成。埼玉新聞と毎日新聞にコメントが掲載される。朝日新聞にて事業について紹介される。
5月 熊谷ロータリークラブの卓話講師を担当する。(1回:成田氏の歴史 2回:松本平蔵・真平)
6月 荻野吟子パネル展についてテレ玉ニュースのインタビューを受ける。
6月 荻野吟子没後100年記念フォーラム開催。没日の同日に東京新聞・中日新聞サンデー版にコラムが掲載される。埼玉県知事がフォーラムにて同紙を紹介してくれる。
6月 詩集「意志と表象としての世界にラピスラズリの光を与えよ」を刊行する。
7月 熊谷うちわ祭の開催時、星溪園茶会、歓喜院聖天堂パネル展を開催。
7月 ヘルシンキにてアナザースカイを見出す。
8月 花火大会を楽しむ。ワニとシャンプー。
8月 市指定文化財「権八地蔵」収蔵施設竣工式。東京新聞で紹介される。
8月 日本経済新聞から荻野吟子関連の取材を受ける。
9月 京都に行く。
9月 熊谷が竜巻被害を受け、文化財レスキューを実施する。NHKニュースにて紹介されインタビューを受ける。読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、埼玉新聞にコメントや写真が掲載される。
9月 権田愛三の人物像や功績について、NHK「あさイチ」の取材を受ける。
9月 姉妹都市のニュージーランド・インバーカーギル市からの視察者(高校生)に対して市内文化財の解説を行う。
10月 国立劇場にて文化財ブースを設営。
10月 地元NPOタウン誌にて熊高の絵画史を掲載。文化財特集として自身が紹介される。
10月 個展「ダナエ」を開催する。毎日新聞、朝日新聞でイベント告知される。
10月 一期展に出品し入選(新国立美術館)。連続入選により、準会員に推挙される。
10月 竜巻被害1ヶ月後の文化財調査。国宝「歓喜院聖天堂」での調査がNHKニュースで紹介されインタビューを受ける。毎日新聞、東京新聞、埼玉新聞にて紹介される。
11月 星溪園茶会や地域伝統芸能今昔物語など文化財イベントを開催する。
11月 31歳になる。
12月 日本ユネスコ協会連盟から、世界で一つだけの「元荒川ムサシトミヨ生息地」保護活動が未来遺産運動に登録される。NHK、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、埼玉新聞へ対応し、紹介される。



今年は学芸員として、雑芸人として、メディア対応が多い一年だった。
素敵な一年でした。ありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します。



2013年12月23日 (月)

思う言葉を声に出さずに受け止める

Dscn0866123_l


 「セーレン・キェルケゴールの運命」。これは数年前、不図思い立って出品した初めての公募展にて、大賞を貰った絵だ。初めてであったから故に、驚きながらも、その時点から大きな勘違いが始まり、そして今まで、あるいはこれからも続くことだろう。まさに絵を描くことを始めた最初の絵がこれである。それまで落書き程度の絵は描いていたが、初めて大きなキャンバスに向き合った初めての作品。少なからず、僕はシンプルを好みながらも、歩いてきた行路は単線的ではなかった。新聞記者を夢見て大学の学部を選び、それで...も行き先が見えず、その先に見たものが哲学だった。結局、大学院まで哲学に傾注し続けた。しかしながらそれでも行き先が見えず、次なる居場所は文化財であった。今思うと、これは回り道であるのかも知れないが、悲観せず、敢えて組み合わせることで、自分なりの仕事観や思想性を描き続けてきているような気がする。その経過の中で、湧き立ったイマジネーションの行く先こそキャンバスとなった。逆に考えるなら、その行く先を考えず、あるいは見えぬふりをしていたとしたら、僕は今まで絵を描いていないだろう。その気付き、ともいえる切っ掛けとなったのが、この絵である。勘違いかも知れないが。一生ものの勘違いであれば、自分自身にとっての真実になる筈だ。真実でさえも勘違いで作っていく優しい嘘。その嘘でさえも受け入れて昇華させていく。人生という航路の転換点は、多くあることだろう。それぞれに気付かなくても、どこかに種子が眠っていることを覚えていよう。絵画であれ、哲学であれ、文化財であれ、そこに息衝く運命を絶えず考えていようと思う。その運命軸の傍らにて、その進展の推移を楽しみながら見守り続けてくれた人が亡くなった。数年遅れであるが、僕はこの絵を捧げたいと思う。



2013年12月13日 (金)

マーブル

1477691_558441164233996_1023108919_


僕のこと好きでいてくれたら嬉しい。

« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
フォト
無料ブログはココログ