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2013年4月

2013年4月19日 (金)

hikari

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荻野吟子は理想郷を求めた夫と共に北海道へ向かった。
吟子の没後100年、私はその足跡を追った。
鉄道を経由し、長万部からバスに乗り継ぎ瀬棚へ。
その街は、いまだ冬であった。
冷たい風に拉がれ、それでも私は海岸を歩いた。
曇り空の間から太陽の光が降り注いだ時、
私は吟子の後姿を見ることが出来たように思う。




2013年4月14日 (日)

「リルケの詩 ニーチェの春」



自分の絵の前で、八重桜の下で、
桜堤の土手の上で、公園のベンチで、カフェで、
僕は春を感じた。


写真: 山下祐樹「リルケの詩 ニーチェの春」

自分の絵の前で、八重桜の下で、
桜堤の土手の上で、公園のベンチで、カフェで、
僕は春を感じました。



しばらく絵画の受賞から離れている。
連続して最高の賞を貰っていた頃、
僕は自分のやり方が正しいと思って、続けた。
しかし、時間を経て、ここのところ追い越され続けて、悔しい思いもした。
リベンジだって思って描いた絵も不評に終わって、
展示されなかったこともあった。
これから一体どんな方法を選択するべきか悩むこともあった。
けれども、僕は絵を辞めようと思うことは一度もなかった。
僕は新たな絵から再び始める。


2013年4月13日 (土)

情熱と失意の足跡を追って




来週、荻野吟子の足跡を追うために北海道の瀬棚に向かう。
フィンランドに行くくらいの時間が掛かる。
何故、吟子は東京での生活に終止符を打ち、
当時であるならば、世界の反対側と同じくらいの場所に
向かったのだろうか。
そして、吟子は北海道で夫の死を経験し、
失意のうち再び東京に戻る。
日本の女性で初めて医師の道を歩んだ吟子。
彼女が没してから100年。
困難と向き合い、いかに打ち克っていくか。
失意と向き合い、いかに乗り越えていくか。
吟子は私に問い続ける。

2013年4月 1日 (月)

軽井沢、フランス文学、新しい年度。




久し振りに軽井沢へと出向いた。私の書棚にサルトルはあっても、ボーヴォワールとサガンはない。私の幼少期における軽井沢の記憶の中には、フランス文学者の篠沢秀夫先生が佇んでいるが、その二人の女性を語る上で、忘れてはならないのは、翻訳家の朝吹登水子さんである。かつて、熊谷の市役所通りと中山道が交差する近くに「工藝」という骨董品店があった。私は子供の頃、両親に連れられこの店に行くことがあった。この店主さんと朝吹さんとの間に交わされた書簡が残されている。その内容について詳しくは分からないが、フランス文学、篠沢秀夫、朝吹登水子、「工藝」、この点と線は、何となく私の記憶の中で特別に感じられるものである。そして朝吹さんのご子孫にあたる朝吹真理子さんは、数年前に『きことわ』で芥川賞を受賞した。私の志向するスタイルとは異なるけれども、文体論への回帰という点は、相通じるものがあるように思う。その性質の柔らかさと固さという違いはあるが。あの美しい街は、いつも私を時空を超えた想像の旅へと連れ出してくれる。新しい年度、自分しかできないとっておきの旅を続けていきます。


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