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2012年12月

2012年12月30日 (日)

2012年の軌跡


今年も色々とありました。思い浮かぶことを書き綴ってみます。

主にライスワークとライフワーク、メディアへの対応などについて。

業務日誌的ですが、これも一つの道標として。



1月、勤労者文化展に絵画と彫塑を出品、入選。熊谷市長から感謝状を受ける。

1月末、文化財防火デーを初めて担当。埼玉新聞に掲載された。

2月初旬から、歓喜院聖天堂の国宝指定に向けての仕事を始める。同じ頃から、熊谷うちわ祭り(熊谷八坂神社祭礼行事)の文化財指定に向けた事務手続きを始める。

3月、傍示標を「吉田市右衛門の墓」、「十王供養塔」、「成田氏館跡」に設置。

3月末、熊谷八坂神社祭礼行事が熊谷市指定無形民俗文化財になる。埼玉新聞及び東京新聞に掲載された。

3月末、市指定文化財「根岸家長屋門」の修理工事報告書刊行。

4月、熊谷市美術展に絵画を出品、入選。

5月、文化審議会から歓喜院聖天堂の国宝指定の答申が出る。それに伴いメディア対応。各新聞に掲載。NHKのニュースに出演し、解説。NHKラジオにおいても紹介。懸垂幕設置など国宝に係る関連事業を進展させる。

7月、文化庁、近藤誠一長官の市内視察への対応。星溪園、文殊寺、元荒川ムサシトミヨ生息地、歓喜院聖天堂について説明。

7月、歓喜院聖天堂の国宝指定が正式決定。関連記事が各新聞社に掲載される。

7月、朱麦会展に出品。

7月、二回目となる星溪園うちわ祭茶会を開催。指定文化財となった「熊谷八坂神社祭礼行事」の記録調査。伊波仙社長らと面会、埼玉新聞に掲載。

7月末、イタリア渡航。ローマ、フィレンツェ、ボローニャ、ナポリに行く。

7月末、星溪園に関連して月刊「武州路」の対談取材を受ける。翌月号に掲載。

8月、広島にて原水禁世界大会に参加。平和祈念式典に参列。ドイツ緑の党副代表のベーベル・ヘーン氏と面会。

8月、歓喜院聖天堂の国宝指定書伝達式に出席。新聞に掲載。妻沼にて国宝指定の横断幕を設置。上毛新聞の取材を受ける。新聞コラム欄に掲載。

8月、市政宅配講座「今昔物語の世界」を開催。

9月、元荒川ムサシトミヨ生息地における除草作業。埼玉新聞に掲載。

9月末、朱麦会展小品展に出品。

10月、一期展に入選。国立新美術館にて展示。

10月、市政宅配講座「中山道と文化財」を開催。

10月、前年に引き続き、熊谷地区労働組合協議会副議長の選出。

11月、小説『悲愴なる青 憂鬱なるオルフェ』刊行。

11月、歓喜院聖天堂の会計検査院監査対応。県民の日文化財イベントにて星溪園茶会を開催。埼玉県芸術文化祭2012地域文化事業「第五回地域伝統芸能今昔物語」開催。開催前日、NHK-FMに出演しPR。

12月、YUKI YAMASHITA WEB SITEを開設。


2012年12月26日 (水)

オルフェへの道

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青の十字架と共に進む。
『KAGEROU』が私を急がせたのは確かであった。
青のユーゲントシュティールを経て、
『悲愴なる青 憂鬱なるオルフェ』へ。

そして、この度、ウェブサイトを開設しました。
YUKI YAMASHITA WEB SITE






青を問う。

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どのような青か。ウルトラマリンか。問い続けていくことだろう。

青が私を変えてくれた。

2012年12月23日 (日)

フィールドワーク

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フィールドワーク系の仕事は大変だが、楽しくもある。

数年前になるが、市指定名勝「星溪園」内の池調査。




2012年12月22日 (土)

ウィーンの路傍、花は咲いていた。

ウィーンの路傍 パリの道標という記憶。

容量の関係もあり、一部、再公開します。

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2012年12月21日 (金)

自己を学ぶ

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         僕は信じる。この存在意義を。この可能性を。キェルケゴールから自己を学ぶ。

                            愛を学ぶ。


2012年12月15日 (土)

バラード

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ブラームス『4つのバラード』(Vier Balladen)作品10 1番ニ短調
何と美しい叙情性であろう。
小雨降り続く時間の移ろい。そして雨が止み、雲間から徐々に陽光が降り注ぐ。
薄暗さから仄明るさへ。
そこにあるのは、苦悩から歓喜へではない。
不安から、少しの希望へ。

ブラームス初期の作品。
この時期、ブラームスは師シューマンの妻クララに対する愛を感じるようになっていた。
憧れから愛へ。
短調から長調へ。しかしまた短調へ。
憧れという感情が持つ一種の不安。その不安を払拭するための愛。
けれども、そこに存在する戸惑い。果たして、許される愛なのであろうかと。

優しい光が降り注ぐ一日。
この曲は、孤独な旅へと私を連れ去るのである。
不安から少しの希望へ、という道程。

その希望と共に、私は手を伸ばすのだ。

Angelic Pretty

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先日、上野から六本木までの地下鉄の車中、Angelic Prettyと書かれた黒いバイオリン柄のスカートを身に付けた女性二人が僕の前に座った。派手すぎず、シックで、革のブーツを履く。なかなか素敵なコーディネートだと思った。六本木駅の長いプラットフォームを過ぎ、彼女達は麻布十番の方向へ向かい、僕は美術館へと向かった。お互いの世界観は違う。けれども、僕達は共に信じゆく美の可能性を懐きながら、この世界を楽しんでいる。

2012年12月10日 (月)

隕石

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或る、晩秋の一日、室内に籠もってデッサンしたり、読書したりしていた。
北欧神話の中に、神々と巨人群の戦いというモチーフがある。私はその構図について思い巡らすうちに、一つの論理を見出すに至った。それは神々の中の敵対関係も、巨人群が出現することで、神々は協力し、巨人群に立ち向かうという精神的統一が図られるということである。この過程は他の神話や宗教の中にも含まれることであるのかも知れない。このことについて例えるならば、もし巨大隕石が地球に近付いている時、相容れない宗教観を有する二つの宗教でさえも、和合し、救済の方法を実際的更には精神的に考えるということになるだろう。巨人群や隕石といった相対的な危機に対して、ここにいる全てのものは融合する道を進む必要があるのではないだろうか。これは現代的な問題に立ち向かう時の一つの教示となる。同じ危機を認識し、その逼迫した危機に対しての方策を共に考えていかなければならないということである。今日の世界は複雑であり、政治・経済の課題も容易に解決できないものが殆どである。しかしながら、危機に向かって歩調を合わせるという意識が欠如しているように思える。どの党が与党になるとか、最早関係ないように思う。今日における巨人群や隕石は何か。このことを明確に分析し、思想や解釈を越えて、その方策を導けるかどうか。この点に注視すべき鍵がある。



2012年12月 8日 (土)

北欧人の世界観における二元論的性格

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 『巫女の予言』を基礎とした北欧神話の宇宙論的諸概念を北欧人の世界観に照合させ、二元論的性格が最初に見出せるものはニヴルヘイムと称される氷と霜の国、ムースッペルスハイムと称される炎の国の所在である。この位相の狭間において氷と熱の接触により水が生じ、ユミルと牡牛が誕生することになる。この時点を発端として二元論が垣間見られる。ユミル由来の巨人と、牡牛由来の人間である。最終的にこの二項はオージン、ヘーニル、ローズルの3人の男子を誕生させる。彼らがアース親族の発端となる。彼らの意識にも二元論的性格が見られる。それは彼らアース神が海岸の2本の樹木を2人の人間に転化させたことである。オージンが吐息と生命、へーニルが智慧と運動、ロールズが顔面とロゴスと視聴覚を与え、男女アスク、エンブラの二人を誕生せしめ、人類の先祖とした。その世界の創世記においては、悪態巨人の住むヨートゥンヘイムとミズガルズ、彼らによる太陽と月の生成後において存在する2人の狼巨人、アース神族とヴァン神族の闘争といった二項存在が多く見られる。

 アースガルズにアース神が住み、ユッグドラシッルの三本根は神々・巨人・ニヴルヘイムへと連結している。この根を伝い巨人族の娘は来訪し、更には神々と巨人族との徹底的な対抗が予言された。この関係性は後の戦慄状況へと至らしめるわけであるが、北欧神話独自の二元論が含まれている。それは神聖な絶対存在を中心にした世界観ではなく、ユッグドラシッルの世界的支柱の下、神々と根源は神々と同じくする巨人との戦いという二元論的傾向である。また絶対的神性を既成概念とせずに、時折、偽りを吐き、他者から略奪する神々の状態を示す点が北欧神話独自のものであると考えられる。更に、同時にこの「神々の世界」進展期においては、嘗てアース神が創成せしめたアスク、エンブラといった男女と同様な関係が分かる。それは神々と巨人族の他に存在するヴァン親族との関係である。エッダ神話に登場し、詩篇において表象されるアース神族とヴァン神族についても互いに二元論を含み持っている。それは理知と躍動感に満ちたアース親族と、精神的な安寧と穏和さを想起させるヴァン族という表象である。いわば前者が男性的、後者が女性的な表象イメージと解せよう。

 ラグナロク以前の世界創成期は、シュペングラー『西欧の没落』にて示される人体の如き世界観に照合させると、人体の誕生、成長、完成、退化、死、の過程において概ね完成期であった。二元論からすると「善の完成」と「悪の可能性」を秘めた時期であった。この経過を辿り、退化の状況へと進み出たと言える。未曾有の大狂乱と悪の流布によって神々と巨人族の壮絶な戦いが始まることになる。オージンはフェンリル狼、ソールはミズガルズの大蛇、フレイはスルト、これらの戦いに最終的な勝者は存在しなかった。全てが滅びる終末を迎える。

 しかしここには一極的な勝利や敗北を見出さない二元論が存在する。互いの存在価値に偏向を含めないことは北欧神話を超え、北欧人としての二元論的思考が含まれているように思える。ゲルマン民族の精神世界においては二元論として、友と敵、力と無気力、秩序と無秩序が激しく対立しているとされているが、これらは北欧神話の表象や展開からも解せる部分である。だが、この二元論に沿うだけではない。二元論的性格の中にあって、必ずその中心に位置する第三の道と言うべき余地、乃至、狭間における幽鬼な未知世界を持していることである。それは、ユミル由来の巨人と牡牛由来の人間が結合する神話最初期の状況、「ギンヌンガガプ」という創成の根源部、神々と巨人族との戦いはラグナロクによって終息される状況などが挙げられる。つまり、諸資料、『巫女の予言』が描くエッダ神話、ラグナロク神話を周覧することで、北欧人の世界観には、この対立構図を受け持つ二元論的性格と、二元論を収束せしめるための新たな道を探る中性的な意識が含まれていることを垣間見ることになる。そしてその内奥にはギリシア神話に見られる優美でエロティークな世界とは全くを以って対峙する厳格で絶望的な運命論に染められた北欧人像が想起できる。



押韻・韻律論へのソルフェージュ



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 ここにおいて着目する部分は、押韻・韻律論の基礎的側面、いわば音楽におけるソルフェージュの如き位置付けへの着眼点を有すると言えよう。前項では言語学的アプローチによる創作論提示への問いを含むものであったが、ここでの事項は別分野からの視座を要求するものである。それは音声や視覚に与える影響を基底に詩作する方法も有り得るからである。詩における内容への理解に次いで、リズムの与える意識下の動揺は明らかに大きいものがある。それは、例えば、次に挙げるボードレール『旅への誘い』の押韻部分からも分かることであろう。

     Aimer à loisir,   

    Aimer et mourir                  

    ・  Les soleils mouillés   

     De ces ciels brouillés

       Si mystérieux   

         De tes traîtres yeux,

       Les riches plafonds, 

         Les miroirs profonds,

 

韻使用により流れるようなリズムを形作っている。また、文字による図柄のように捉えることも出来る。整然とした詩法技巧が見出せる。しかしこの押韻については問題も存在する。それは日本語訳を見れば理解できるだろう。

    ・ しみじみ愛して、

      愛して死ぬ

    ・ 曇り空に 

      うるむ太陽

    ・ 不思議な魅力

      おまえの不実な目が

    ・ 華麗な天井、

      底知れぬ鏡、          

 

以上のように、loisirmourir、語尾uxillésの関連が失われる。音声から表象文字に重きが変化する。発音言語として示される押韻の意義は普遍的なものではないということだ。ましてや言語系統が異なる場合の訳出では避けられない現象である。これを認知した上で詩作の押韻について考える必要がある。

 フランス十六世紀の詩人ロンサールは『詩法』(一)において、ギリシア・ラテン語派独特の押韻作用について言及している。特に「音」に着目し、フランス語発音をもとにする詩作上の特色を指摘している。そして次のような詩作の改善例を挙げている。 

  

Rollant avoit deux espées en main.  

      ローランは二本の剣を手に持っていた

    Contre la troupe Ænée print sa picque.

      軍団に向かってアイネイアースは槍をしごいた 

 

前者ではdeux espées en main 、後者ではÆnéeが繊細な耳を傷付けるとし、eeで終わる単数の語もeesで終わる複数の語も詩句中央に表れるならば、eを除去せよと述べる。前者はRollant avoit espés en la main.、後者はContre la troupe Ænébransla sa picque.が適当だとした。言うまでもなく、日本語訳では互いの意味に変化は無い。ロンサールは叙事詩やアレクサンドラン詩句(古代英雄詩)においての押韻または音声語法について取り上げることが多い。上記の二文もこれにあたる。歴史事項を説する内容であってさえ、音声による詩作を求めている。更には「語が優雅で耳に快くありさえすれば、ギリシア語とラテン語に倣って、語を大胆に作り出すべきである。」とも述べている。

 また固有名詞 'ΟδυσσεύςUlysses, Ulysseに置き換え、語中音消失によってUlyssにするなど、詩作における韻律形成や脚韻を促した。ロンサールは何故ここまで、フランス語発音と韻律を詩作の基底に置いたのだろうか。彼の華やかな古代ローマへの懐古心と庶民を舞台にした恋愛詩は、ペトラルカによるラテン語散文から影響を受けている。本稿にて期すところとして、ロンサールは当時の風潮を回顧したのではないか。それは帝国の栄華であり、庶民の躍動であろう。そしてこの時代流と同じくしたのが俗ラテン語の使用である。彼は民衆によって語られた俗ラテン語に何らかの意図を汲んだと、考えられる。文法規範の無い俗ラテン語は発音と口頭のみの言語手段である。短長やlong by position(二)など以外は単純発音のラテン語から展開した、ロマンス語派の過渡期言語であった。つまり格減少などによる発音の合理的、簡略的発達を詩作に取り入れようとしたということである。『オード四部集』の叙情詩がその実践的代表作であろう。またロンサールは若くして半聾となったことで文字押韻を使用しての発音技巧に興味を持ったとの見方もある。  

  押韻が与える影響は「動」だと考えられる。それはロンサールのように文の流れを重視することもそうであり、創作者心理の動揺や変化を表象する際にも重要な手法となる。その心理的「動」を押韻として表した一作を挙げたい。それは、ランボオ『酔いどれ船』八、九、十、十三節一行目群である。

  Je sais les cieux crevant en éclairs, et les trombes

 J'ai vu le soleil bas, taché d'horreurs mystiques,

  J'ai rêvé la nuit verte aux neiges éblouies,

  J'ai heurté, savez-vous, d'incroyables Florides

  J'ai vu fermenter les marais énormes, nasses

我は知れり、稲妻にはためく空を、竜巻を

我は見たり、神秘なる畏怖に染まりたる落葉は、

我は夢見たり、眩き雪降りし緑の夜半

我行き当たりしは、君知るや、世に不可思議なフロリダ

我は見たり、巨大なる沼々は沸きかえり、魚梁が底     

 『酔いどれ船』について堀口大學は「ブルジョア社会に対する反逆と、そこからの脱走を試みる冒険の詩」「無辺際の水と空に酔って突っ走る船はランボー自身の姿に他ならぬ」と評している(三)。その船上での光景を想像力のみによって描かれた詩である。各四行節にて構成されている。その冒頭にある上記の一行の効果は大きい。「Je sais  我は知れり」「J'ai vu  我は見たり」「J'ai rêvé 我は夢見たり」「J'ai heurté 我行き当たりし」によって次に表れるイマージュはより真実味溢れたものとなる。このイマージュは視象(vision)へと拡大し(四)、詩作に対しての客体から主体へと変貌するだろう。この一文が文中ではなくスタンザ巻頭にあることに意味がある。それは続く言目全てを、視象として展開することが必然となるからである。それもスタンザ全体を含有することになる。視点を文字からイマージュへ、更には眼前の光景へと仕向ける。我々は船上へと来訪したのである。もし光景の表現のみで留まっていたのなら、いかに美しい言葉が羅列されていたとしても客体のままであっただろう。四行節全体を決定付けた文頭は、ランボー自身の躍動を内に留めるのではなく発散することになったのだ。以上の場合、押韻は発音の見地ではなく位相を利用した表現法である。脚韻ではなく配置に委ねることは、日本語訳の際、ボードレールの例とは異なり適応が許される。今作品の訳からも分かるが、「我」「過去の意」「光景・情景」という順番で記すことが出来る。しかし「我」「光景・情景」「過去の意」では先程述べたように視象の効果は少なくなる。「我は、稲妻にはためく空を、竜巻を、…を知れり」が放つ意図は客体性の描写で留まってしまう。この部分は方法論としての議論になる部分だろう。

 嘗てドイツ詩においては韻律論が体系化し、その傘下にて表現することが詩論の基底に置かれていた。十八世紀以前にはフランスに比べて詩と散文の分化が徹底され、詩については韻律法を重視していた。詩を「拘束された話体(Gebundene Rede)」と称する由縁もここにある。ヘーブング(強音)、ゼンクング(抑格―非強調)というように韻律を区分し、詩脚(Versfuß)として発音リズムを捉える。この詩脚は強と抑の順番により種類が分けられる。「抑・強」のヤンブス(Jambus)、「強・抑」のトロヘーウス(Trochäus 、「強・抑・抑」のダクテュルス(Daktylus)、「抑・抑・強」のアナペースト(Anapäst)が主な詩脚(五)である。この強・抑は諸単語の発音やアクセントに委ねられる。例として、ゲーテ『湖上にて』を挙げる。

 Und frische Nahrung, neues Blut

 Saug' ich aus freier Welt;

 Wie ist Natur so hold und gut,

 Die mich am Busen hält !

 Die Welle wieget unsern Kahn

 Im Rudertakt hinauf,

 Und Berge, wolkig himmelan,

 Begegnen unserm Lauf.

 Aug', mein Aug', was sinkst du nieder ?

 Goldne Träume, kommt ihr wieder ?

 Weg, du Traum ! so Gold du bist;

 Hier auch Lieb' und Leben ist.       ………

 このように新しい養分 新しい血を

 私は自由の世界から吸う

 私を胸に抱く自然は なんと優しく心地好いのだ(三、四行)

 波はオールの拍子と共に 我らの小舟を揺り上げ(五、六行)

 天を突き抜ける山々は

 行く途上で我らを迎える

 眼よ 私の眼よ 何故そのように俯くのか

 金色の夢よ 再び巡って来たのか

 去れ 夢よ いかに金色であれ

 ここにも愛と命は存在する           

 始めの節を細分して韻脚を区別してみる。一行目、Undは抑、frischeは前アクセントによりfrisが強となりcheは抑となる。この時点でUnd fri- はヤンブスになる。また「che -Nah」、「rung, -neuesの頭部」、「neuesの尾部-Blut」においてもヤンブス「抑-強」が示される。二行目でもSaug-(抑)-ich(強)、aus(抑)-frei(強)、er(抑)-Welt(強)のヤンブスが形成されている。この節を概観してみると、一行目の「抑-強 抑-強 抑-強 抑-強」と二行目の「抑-強 抑-強 抑-強」を形式パターンとして四回繰り返されている。次の節ではヤンブス調から変化していることが分かる。Aug', Gold, Weg, Hierの強に続き、mein,ne,du,auchの抑に結ぶ。sinkst, kommt(強)-du,ihr(抑)、nie, wie(強)-der(抑)となる。三、四行の末尾bist, istのヘーブングは余るが、総体的にトロヘーウスを形成している。一、二行の「強 抑-強 抑-強 抑-強 抑」、三、四行の「強 -強 抑-強 抑-強」というように形式が前節と異なっている。訳を見ても、その変化を解することが出来る。この韻律と意味との狭間を体系化したのがドイツ詩論といえよう。明るい気概や躍動感の表象はヤンブスの流れるような韻律を用い、意図に深みを出す場合は各単語の発音を誇張するトロヘーウスを使うなどが提示されるのだ。

 ボートを漕ぎ進むうちに姿を変える景色。ゲーテは新たな何かを、束縛されぬ時間をヤンブスによる長調曲的な韻律で表現した。しかし脳裏には当時彼を苦しめていた日常の意識があったのだろう。その恋愛問題(六)であり、日々の虚無感が視野を遮った。重い旋律が詩にも表れてくる。トロヘーウスの利用である。突如とした節は先ず韻律として投げ掛ける。次いで我らの内容理解が開始される。強抑の変動がありながらも、各単語がヘーブング化してくる。平静から動揺へ。音調の変化により、何かしらの意図を汲もうとする過程を与えてくれるのだ。

 またこの過程は詩人の意図であるというより、ドイツ詩の基底に据えられた韻律論の賜物であると捉えられる。しかしゲーテは韻律論を好まずにいた。以上のように分析されることを嫌うかも知れない。それだけ韻律規範は基本的な詩作要件になっていたのだ。当時は古典語や詩人の作品を準えた韻律論によって多くの詩が書かれた。サッポー・オーデ(Sapphische Ode)やヘクサーメター(Hexameter)などが典型である。また基本四韻律を複雑に組ませた詩型も使われた。詩型のため「自由」を拘束するか、詩という「自由」を獲得するかの対峙の中、ゲーテは自由韻律(Freie Rhythmen)を掲げて、既成の韻律手法や古代諸詩を基本とした韻律からの逸脱を図ったことも興味を持つ点である。ドイツ韻律論が他語圏に齎した影響は少ないと考えられる。忠実なる古典引用から分かるように、感性解放的なルネサンスとは異なり厳格的な意図を含むという点はドイツ独特であったのではないか。

 次は古代から続くロマンス系韻律について文法の見地から見てみる。にラテン語では文中の重要度は文頭単語、文末単語、そして文中という順になる。また各単語が機能化されているため、主語や前置詞の明記は少なくなる。この文法事項は詩作に用いられる。特に後者の影響によって、単純発音(ローマ字読み)ながらも心地好い韻律を作っている。

 domina lilia amat   百合が好きなのは恋人

 lilia domina amat   恋人が好きなのは百合

 amat lilia domina   恋人は百合を好む

 

pullamne amat poeta ?    

 詩人が愛しているのは少女なのだろうか

 poetane puellam amat ?    

 少女を愛しているのは詩人なのだろうか

  

 短文はそれぞれ上記の特徴を例示したものである。liliumを対格にしたため意味が適合しない部分もあるが、ラテン語特有の韻律感覚を得ることが出来る。文法もロマンス発展諸語に比べて理路整然としている。また単純発音と相俟って、音の響きを重視した旋律で表現できるのだろう。後に諸語へ転化する際、文法も区分化され発音も複雑になった。このことはラテン語とは異なる魅力を持って展開することとなる。それは流れる旋律による趣きであった。格の減少や冠詞の表記によって装飾された文では、より合理的な発音が必要となる。文の各部位にはliaisonが施され、母音の改良がなされる。この過程の先には詩作における押韻・韻律の技巧があるのだ。例えば「私が花を送る少女」を諸語に訳すと(仏)la fille à qui je donne une fleur  (伊)la ragazza a cui dono un flore  (西)la muchacha a quien dono una flor となるが、この一文が成立した時点で押韻詩作の方向性は定まる。創作者は各単語の発音と意味を熟考し、次なる言葉を探し出す。また冠詞を意識せざるを得なくなり、それと同時に名詞性を当てはめる必要性も出てくる。la filleと適応する部分にles filles une bonne filleを置くことは、意味が類似していても押韻にはならない。他に(伊)のLa(二人称敬称)や強調形leiや(西)の不定冠詞、非制限的用法quienと口語queとの区別なども挙げられる。またNous allon ,sont aimés等の「liaison」やロシア語における(Не слышны в саду , даже шорохи(七)でのв садуФсадуのように一語として読む「子音同化」を韻律に含めることも一種の手段である。音声と文字配列に着目し詩作する場合は以上を探求する必要があるだろう。

 しかしこれは韻律論での問題であって、固執することは詩作上の弊害になることも有り得る。ドイツ韻律論のように規範で括られていない故の自由表現を促すべきだとも期す。音と文法の関連を強めた言語形成では利点でもあるが、ゲーテ自由韻律のようなアンチテーゼも然りである。韻律の整った作品と散文調との優劣を言うことはできない。これは創作者本人の意思であろう。そして自ら望む文体と作風にて表現行為を営むべきだと考える。

 本稿で各言語の押韻と韻律について述べたのは、これらが齎す文芸的意図は大きいという点にある。この構造を知ることによって詩に対する視野を広げられると考えた。それは口から発して伝えたい程の心情や光景をいかにして表現するかという方法論の問題と、ある韻律表現の意図とする部分を汲み取り詩人の魂に入り込む解読の問題である。前者は創作論であり、後者は分析論とも言える。本稿は主に分析論として取り組んだ。そこには新たな課題が残された。それはインド・ヨーロッパ語族と日本語との差異とも、表音文字と表意文字との差異とも言えることだ。つまり例に挙げたボードレール、ランボオ、ゲーテを含め、西洋詩人の作品は日本語に訳す際、訳者のフィルターあるいは濾過装置を経た後、我々に伝えられるということである。ランボオ『酔いどれ船』十三節、『ランボオからサルトルへ』平井啓之訳では「我れは見たり、巨大なる沼々は沸きかえり、魚梁のありて」となり、堀口大學訳では「我は見たり、瘴癘毒の沸き騰る大魚梁が底」となる。大筋は同じであるが、別作品の如く錯覚してしまう。互いに訳すことで平井作品に、堀口作品に変貌してしまう。フランス語の一文は当然無数の日本語訳を有しているのだ。またボードレール詩作の部分でも述べたが、押韻や韻律、流れる旋律を忠実に伝達することも不可能である。以上のことは文学作品全体の困難な課題でもあろう。

(注・引用・参考文献)

(一) デュ・ベレーが表明した詩論の再提起となった。そしてより技術的詩作を言及している。

(二) appélloのように尾文字から二番目の音節母音が短くとも、次に子音が二つ以上並ぶときは、最後から二番目の音節に強アクセントを置く。

(三) 堀口大學訳『ランボー詩集』鑑賞ノート 一五二頁

(四) 平井啓之『ランボオからサルトルへ』 七七-七八頁

(五) アナペーストで書かれた作品は極少であり、ダクテュルスの変形に含有するとの見解が多い。

(六) Elisabeth Schönemannとの間柄について

(七) Подмосковные Вечераより。

・ 島岡茂『ロマンス語比較文法』 大学書林 一九八六年

・ 樋口勝彦 他編 『詳解ラテン文法』 研究社 一九六三年

・ ユリイカ 一九七九年/六月号 『世界の詩論』

・ 平井啓之『ランボオからサルトルへ』 講談社学術文庫 一九八九年

・ 越川正三『文学と文体‐ジャンルの中の表現』 創元社 一九七六年

・ ランボー 堀口大學 訳 『ランボー詩集』 新潮文庫 一九五一年

・ ゲーテ 三浦靱郎 訳 『ゲーテ詩集』 郁文堂 一九八二年

・ B・ウスペンスキー 大石雅彦 他訳 『構成の詩学』 叢書ウニベルシタス 一九八六年

2012年12月 6日 (木)

仮面空間と表現論の展開


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表現行為を行う実体(表現者)は表現自体に覆いを被せた状態で現れるという点に、パリ・フロイト派(一)(特にラカン)における精神分析は着目している。その visor(仮面) が小説や詩を媒体として行う数々の変身行為はいかなる意義を含めているのだろうか。その働きは表現物に登場する人格さえ虚無にしてしまう。更にはdisguise(二)によって言語表現でさえ崩壊せしめる事実を受け持つ。言語表象が他に受容される際に、その内実が透過するだけでは表現行為とはなり得ない。物質や色に対する外部の認知行為に委ねる鏡に他ならないからである。その透過を防ぐための体制がvisorに該当する。それは透過に留まる叙事詩的レシとは差異を持つ思考局面と言える。クリステヴァは「仮面は優れて他性の文彩であるし、またここからして、ロゴスが我々に提供するような自己同一性とは対立していた。」(三)と述べている。表出された表現と、自らの思考によって放たれる表現の相違、対立が存在しているということである。我々の意識下においては、透過は無いにしても、「表現するための思考」は可能だと考えられる。しかし、それは表現する主体の無意識に行われる了解によって、眼下の文脈や詩的イマージュは変貌を遂げているのだ。書素(グラム)、痕跡(トラス)、エクリチュールと呼ばれる活発的実践さえ仮面が担う面が多いとされる。このフィルターともいえる思考と表出の狭間が詩創作上の課題とも言えよう。

 クリステヴァは狭間を「他者的空間」と認め、コミュニケーション(主体同士の間での言述対象の交換)の空間ではないとする。また思考や時間から委ねられ言語表現が決定されるという以前において、消え失せ、入れ替わり、練り上げる空間とも示している。いわゆる「plot(四)である。思考によって表現されると同時に、別空間にて為されていた上記のような事項が融合しエクリチュールとして示されるのだ。小説の場合には寓意性の含有、対話形式、行為に対する客観視、自らが主体としての文脈、などの技法が確立され、「plot」としての仮面空間の逸脱が図られた。そして一般的な通例に沿った上で新たな表現媒体を期したと考えられる。これは表現ステージの再構築とも解せる。ここでは修辞法による言述が根底にある。こうすることによって大いなる想像力の介入が許されるのだ。しかしそのような状況下でありながらも、仮面空間の枠からは逸脱できていない。つまりシニフィアン(表現する記号)とシニフィエ(表現された意味)が含有された現代表現論では、この二つ自体が枠となっているからである。これらの概念と表現行為の内実を含めた上で周覧してみたい。

 認識してから表現するまでの機構は、アイコン(図像)とインデクス(指標)、シンボル(象徴)などのシニフィアンによってシニフィエが示される相互不分離の「言語的本質体 entité linguistique」と解する(五)。この言語的本質体も同じく先程の枠自体とも言える。表現行為は独自の思考だけからは不可能だからだ。我々は必ず外界を見る。そして得た糧を思考に取り込める作業をしている。その際、瞳を開け、鼓膜を揺さぶる瞬間であってさえ認識している。その機構の根底にあるのがシニフィアンとシニフィエである。「ある花」というシニフィアンによって、ガーベラやリリィというシニフィエを獲得するのである。この「ある花」の位置に我々を置き換えてみると、我々は表現者となる。表現者という人間は、インクあるいは言語記号(signe linguistique)によって回顧録や愛の苦悩を語る可能性を得る。そこには踏まえるべき事態がある。我々が例えば「黒猫」という文字を見ることと同時に「黒猫」を想起できることの感覚を、「黒猫」を文字にしようとするとこのように「黒猫」という言語記号を示すことができる感覚である。この感覚は思考作用の所産では無いと考える。またこの二つの概念は「形 forme =関係性」であり、実質 substanceではない。しかし、人間は思考により関係性の構築やシニフィアンを認めることが出来るが、花は自らの意思でシニフィアンを発しているのではない。人間の思考と認知によって花のシニフィエが形成されているとの理解もある。ここに至るとフッサールのノエシス―ノエマ分析(六)、志向性問題(七)への関連を持つ。彼の概念としては「あの花が存在することの知覚としての知覚は、あの花が存在することによってアプリオリに説明される」という見地である。つまり志向的内容(あの花は赤いガーベラである)という感覚を充足させるのは、まさに成立している事象(実際にあの赤いガーベラが咲いていること)なのである。これは認識自体さえ認識するか如何に及ぶ。しかしこの概念の理解により鏡とは違い、外部の状況を何ら変わらず再び外へと表出することのない表現行為の実体把握に繋がると考える。

 仮面空間ともいえる意識下または無意識的所作によって、我々は認知した後、それを思考の材料として移行せしめる。いわば、このフィルターは小説の新構築においても見逃せない事項である。このため叙事詩的から小説的への変化も、内実は「認知-思考」過程への転換に留まり、根底の理論は変わることは無い。あるいは思考機構において小説への再構築時間が長いというだけしか根本的な差異は見出せないだろう。しかし再構築によってシニフィアンの誇張が為されていることは確かである。加え、認知が発端となっているとはいえ、人為的な表現活動にて補われる面もある。これは近代から培われた技法、感性の筆記方法が及ぼすところが大きいだろう。このため詩作や小説、美術作品まで認識論やアプリオリとしての思考内容の表象とは考えず、記号媒体のコードとしてしか考えられていない。この方法はヘーゲルの形而上理論から開始された。この流れを汲んでプログラミング的シニフィエという言葉も生まれた。つまり記号論を採用して表現の体制化を図ったものである。対しラカンは書き込まれる思考の無限化に向け、この概念の欠如を要求している。しかし詩や小説の場合、文字として、つまり記号媒体として表出しなければ表現行為は成り立たない。記号に依存することは必至となる。そこで問題となるのは、いかにして記号を表現すべき「意味」へと変貌させるかである。ここも件の仮面空間が担う部位と考えられる。いわゆるテクスト理論である。

 テクスト論とはシニフィアンとシニフィエの微妙な差異を容認し、記号の解体へと導いた後に理論の循環構造を見出すものである。また書く行為と読む行為の一致も有り得るとする。クリステヴァの概念を見ると、「テクストとは、端的な情報を目指す伝達的な言葉(parole)を、先行の、もしくは共時的な、多種の言表類型と関連付けることによって、言語(langue)の秩序を配分し直す、超‐言語的装置である。」(八)と定義されている。書かれたもの(エクリチュール)に対するlangueparoleの優位(九)が小説や詩の根底にある場合、作家は自己と作品内との対話を行うのであって、「間テクスト性 intertextualité(一〇)の機能がこれに当たる。つまり記号を操る自己と書かれた表現はテクストによって繋がれていているのだ。またそのテクストを理解することによって表現行為へと導かれる。その理解が読む行為と見なされるのである。そして読んだテクストを表現することとなる。そのテクストを夢想に回帰したのがエクリチュール・オートマティック(一一)やシュルレアリスムの所産と言えよう。つまりテクストを規定に据えて言語を壊すか、感性を壊すか、逆に言語を詩的色彩の根源にするか、感性を誇張するかの配分に委ねられたのが詩創作なのかも知れない。ここに位置する理論としてバンヴェニストとクリステヴァが唱えた(互いの概念は異なる)セミオティーク(一二)である。これはフロイトの第二局所論における超自我とエスの対立構造(一三)のように、身体と精神との分岐点が着目される。パリ・フロイト派の影響から欲動や快楽、更に社会秩序までも含めた葛藤を通じて記号を発せられるとした。しかしポスト構造主義の見地から、記号学の体制化に主眼が置かれた上での概念である。そのため小説や詩を論じる際に、芸術としての価値を一度崩壊しての記号分析となり得る。このことはロラン・バルト著『零度のエクリチュール』からも見て取れる。文学分析には功績を残したといえも詩創作に対して意義を与えたとは言えないだろう。しかしロジェ・ジルーのようにこれら記号論とウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』からの影響を受けて詩作や評論を行った現代詩人もいる。

 次は、ポスト構造派の中心に存在しながらも学術の一端では、記号論からの見地とは離別し、表現行為を「心」の対象として認めているジャック・デリダの概念を述べる。論文「詩とは何か(che cos'é la poesia?)」において二つの回答を示している。「(一)詩とは記憶の節約ということ。一篇の詩は、その客観的な、外見上の長さがどれほどであろうと、まさにその省略的という使命からして簡潔でなければならない。圧縮 Verdichtungと引きこもり retraitの、博識なる無意識。(二)詩とは心の、ある一つの歴史=物語だ。暗記する・暗唱する「心を通じて学ぶ」という固有語法のうちに、詩的な形で包み込まれているような歴史=物語だ。英語(to learn by heart)、アラビア語で(hafiza a'n zahri kalb)」と述べている。デリダの場合、記憶、暗記行為に着眼点を置く。いわばシニフィエの想起と共に、シニフィアンを自己記憶に刻むことである。この仮面空間ともいうべき記憶機構は圧縮を行い、その成果を紙へと落とす手法と解する。ただしその圧縮をコード化と捉える場合、デリダは「コード化された差異」と低次意識の融合を表現論に用いたと考えられる(一四)。ただしシニフィエとシニフィアンとの間隔に余地を考えるラカンとは論が異なる。デリダは意味と記号の合致に根ざした表現する主体を信頼したのである。彼は信頼を仮面空間の枠に据えた。また同時に彼らの心理や意識からの表現を重要視したのだ。コードの所作によって簡潔なる表現が出来ようとも、テクストを準える手段に他ならないことを危惧したのだ。特に詩作としての表現行為においては、小説の如く通例的文法をも持ち得ないことから、記号解剖に転じる可能性が高い。また「心を通じて」からも分かるように、表現主体の存在は記号論からではなく自らの内面認知によって確立できるのだと期しているのである。そして仮面空間を記憶と放出を行う文芸史的所産と考えたのだ。 

 デリダ言語論以前に、詩的言語と「美」について活発な議論を行ったグループがある。一九一〇年代、ヤコーブソンらを中心にしたモスクワ言語学サークルである。意味や要点の伝達に重点を置く日常言語と、アリタレーション(頭韻)やライム(脚韻)などの押韻、韻律にlangueparoleの関係が含まれるとする詩的言語に差異を見出し、後者について分析した一派である。ソシュール理論が巻き起こした「実体論から関係論へ」の影響を受けている。内実は言語分析と詩的文学性の希求が挙げられる。言語分析としては後のプラハ学派、コペンハーゲン学派に委ねることとなるが、詩的文学性における論考に注目出来よう。それは批評集団としてのフォルマリズムはともかく、当時ロシアにて起きたロシア・アヴァンギャルドとの関連が見られるからである。それは自然主義的な従来趣向に対するフュール・ジッヒ(f ür sich)過程(一五)の提起であった。パステルナークの難解詩や、言語実験を基として詩作したフレーブニコフ、クルチューニィフらの文学性追求に対し理論立てを行ったのだ。特に「遠心分離機」派詩人の作品に度々登場する、言語の羅列・反復によって生まれる意味の差異や、主語述語の格不一致、アナグラムの分析を重ねた。ただし、この分析は言語学の範疇に留まるのではなく、複雑な手法を読み取ることで換喩法(メトミニー)や提喩法(シネグトキ)など記号だけからは生まれない作用を示したのだ。ここに彼らは仮面空間を設定したと言えよう。このことは書く主体の技量を試すものであり、パリ・フロイト派あるいは構造主義言語派のように記号作用に重点を置いたものではない(一六)。やはり根底には詩的文学性の追求があったのである。仮面空間を自己内面に置いた新派と、エクリチュールが受持つ押韻・韻律部分に置いたモスクワ・サークルと比べることが出来よう。またデフォルメ意識がフォルマリズム、アヴァンギャルド、そしてモスクワ・サークルに流れていたことは新鋭芸術キュビスム手法にも通じるところだ。

 仮面空間について議論する際、以上の周覧諸概念が基本支度となる。これを踏まえて、本稿にて考える仮面空間について言及したい。表現論や詩作論において仮面空間が受け持つ重要課題は「仮面空間と思考との対峙」である。また修辞法を超越した創作論の提起である。これに対して、パリ・フロイト派の流れを汲む記号論者の回答は、全てを記号化しての分析であり方法論であった。彼らによってかなりの深度まで掘り下げられ、仮面空間の露呈に成功した。しかしそれは彼らが理解するためだけの発掘作業であった。確かにシニフィアンの認識とシニフィエの理解は言語力形成上の問題であり、思考によって確立されるものではない。また、セミオティークや意味生成理論を介入させ、幼児期の鏡像段階(一七)、前エディプス期において形成された能力を追及することも当然のように思われる。個人的見解として、仮面空間の内実は彼らの述べる「間テクスト性」や「エス的欲動」によって支えられるものではないと考える。本稿はシニフィアン認識を取り持つ機能と、我々表現者としてのシニフィアンを拡張する機能の融合体が仮面空間だと期す。前者は言語力形成上の所産であり、表現行為に向けての最低要件である。これは認知行為の助力となり、認知物を記憶内に蓄積する働きを持つ。冒頭に述べた叙事詩的表現に助力することはあっても、小説、詩創作における「透過防止作用」には影響力を持たないと考える。論理を変貌させるのは後者が齎す面が大きい。それはシニフィアンを拡張させようというエゴイズムである。記号論者と比較すると前者が彼らの仮面空間理論に当たるだろう。しかし複雑な構造ではないと考える。外界認識、蓄積、拡張に向けての知識注入という機能に留まる。またエゴイズムはエス的欲動とは異なり、フロイトの論ずる諸過程では形成されず、先程の蓄積が一定限度を越えた時に発生される。エゴイズムとは莫大なるシニフィエ蓄積を発散しようという無意識的所作であると捉える。こうしてplotや言語表現の崩壊が為されるのである。つまり発散事項と、何を表現するかという思考が対峙した時は発散事項が優先される場合があるということである。この現象が仮面空間であると考えられる。小説、詩創作の課題として、このエゴを確固たる思考で克服できるか如何が挙げられる。表現する際の注視事項として、デリダ言語論では内部での記憶行為が、モスクワ一派は外部での押韻論が、克服策の一部として適用できるように期す。こうすることで仮面空間のエゴ部分の介入をある程度抑えることが出来よう。例えれば、ナルキッソス(一八)(表現者=エゴ=自己愛)が神託(克服策)によって心外にエコー(発散事項と異なる事項)と婚姻(表現行為)させられたが、そのうち異性恋愛の利点を思案(書く主体の確固たる思考主導)する、という構図である。

 以上、仮面空間の在り処、言語・記号学諸派の概念について触れてきた。だが、上記を著す際に自己の詩作論を示す余地を見なかった。その代替としてこの段落を利用しようと思う。ソシュール理論と心理学あるいは記号論が形成していった「テクスト理論」や「コード論」によって、確かに小説や詩の基底部分を晒し出したことは功績と言えよう。しかし本稿では数ヶ所において、パリ・フロイト派以降の記号論によって詩的芸術性の変調が齎されていると述べた。つまり詩作や小説を体制所作として認めることを危惧しているのである。近現代での詩論諸概念の位置としては、文学的に表現行為を論じたシュルレアリストしてのエリュアール、ブルトン、アラゴン、社会学者カイヨワ。対して記号論にて詩論を展開したヤコーブソン(モスクワ言語学サークル)、バルト、バフチン、バンヴェニスト、エーコ、クリステヴァが挙げられる。ただし後者においては記号論的批判を図ったバルトとクリステヴァと、ヤコーブソンとの位相は大きく異なる。それはエクリチュールを記号行為(バルト)と文学的表現(ヤコーブソン)と解するかに示される。その中庸にいるのがデリダ言語論であると本稿では考える。彼の位置に一線をいれ、文学的程度に着眼する方向に個人的見解に基づく立場を置く。その方向に進むにつれ、シュルレアリストの作家たちが現れる。次いでバシュラールやニーチェら哲学者詩論が見えてくる。続いてヴァレリー、ロートレアモンといった詩人による詩論が置かれている。その末端にはアリストテレス『詩学』があるのだろう。一線より記号論に傾く学者はシュルレアリストの詩作を、気まぐれ詩(fantaisie)やがらくた詩(fatraserie)と称し、分析対象からは外す。理論と合致しない表現作品からは新たな体制論を見出さないのである。つまり記号論-数理的な定式が小説や詩理論に対して、どの程度影響が反映されるかの確認に留まってしまうのだ。持論として詩内部を一度壊し分析を行う手法には同調しない。仮面空間は認めるものの、仮面自体を取り外して検証することは望まない。またシニフィエ・シニフィアンという概念は外世界と詩を連結させる上で必須ではあると考えるが、それ以上のコード論導入の意義は見出さない。書く主体が文字へと落下させるための思考の際にテクストやコード理論が必要になるとの考えは、詩を客観視する時のみの道具であろう。表現分析として理論を取り入れることはあっても、小説・詩創作には道具とはなり得ない。新派(記号論者)は表現行為の「problematic」を打破しようとしたが、自ら進み出た道が「problematic」であったと本稿では解することになろう。クリステヴァ『テクストとしての小説』への返答で、ロラン・A・シャンパーニュが「言語学諸カテゴリーが文学的諸ビジョンの方向性を変化させてしまう(概)」と評すると同じくということである。彼らが唱える詩論に含むこれらの概念は創作者の意思を惑わせるだけであったのではないか。また仮面空間議論では確固とした定義立ては望まないが、分析論と創作論を分けた後、分析論においても文芸的理念の介入が必須となるべきだと考える見地も尊重されるべきであろう。 

   

    

(注・引用・参考文献)

(一) 一九六四年、国際精神分析協会と対立し、ラカンを中心に「フロイト帰還」を掲げた分派。

(二) visorの「仮面」という意味を越え、「disguise」(偽装)としての意を含む。またvisorは元来のpersonaの意と同じく捉える。 

(三) クリステヴァ『テクストとしての小説』二八〇頁。

(四) クリステヴァ著作では「書割り」と提示。

(五) 形而上学的概念の記号観と、ソシュールのシニフィアン、シニフィエ概念を含ませた。ソシュールの場合「音」と「概念」の関連から言語的本質体が述べられているが、認識から表現の過程では聴覚部位より視覚の優位がなされると私は期した。

(六) 意識の対象となる思念されている意味(ノエマ的意味)はそれを思念する心的作用(ノエシス)や感覚的素材(ヒュレー)と違い、意識における超越的対象とされる。このノエマ的意味がノエシスやヒュレーの存在には「還元」できない独立した秩序を含むことを明らかにすること。

(七) 意識が意識の外にある対象そのものを捉える意識であるという事態を把握するまでの期間。そのものとは志向的内容であり、文脈ではthat説で表現される。

(八) クリステヴァ『テクストとしての小説』一八頁

(九) テクスト論によって「langue」、「parole」の作用が、書く主体の創作意思を超越してしまう状況。主な作用として、言語の解体と再構築の連鎖を引き起こすとされる。

(一〇) あるテクストと別のテクストが互いに意味生成や離合集散を行い、この本源的作用に因り文脈や言語の配置が為される機能。 

(一一) 自動筆記。主にシュルレアリストが用いた表現法。「何を書くか」という意思を除去し、意識外の何ものかを自動的に素早く書き取ろうとした。作品としてブルトン、スポーの『磁場』がある。

(一二) バンヴェニストの意は記号体系と解せる言表の形態的側面としての記号論的水準。クリステヴァの意は記号の意義設定以外の状況である原記号作用。 

(一三) 自ら監視し、欲動の抑制機能や社会的価値の導入を行う超自我と、無意識な衝動や欲動溢れる混沌状態のエスの対立。この場合、超自我によるエスの認知が前提となる。 

(一四) 既にある言語体系内の差異的二項対立を認め、それによって言語に名称が与えられる「コード化された差異」に対してと、深層意識に委ねる「コードなき差異」に対する異議を含む中庸論と捉えた。

(一五) 対自段階。即自の状態から否定要因の進展と共に自己の対立物が表れ、認めるようになる過程段階。「即自」から至り、「即自かつ対自」に巡る中途過程。 

(一六) 構造派への萌芽となった理論は主に韻律言語論であり、記号緒論となり得た様相は少ない。ソシュール以降とはいえ明確な議論が開始されるまでの間隔に、彼らの活動があった。 

(一七) 欲動の支配にて生存している幼児が、鏡に映る自己の全体像を自分のものだと認知し、外部の人間という像と合致せしめ、人間としての自分は成熟を達成したと喜ぶ段階。想像力的歓喜状態。 

(一八) ギリシア神話、ナルシズムの語源であるナルキッソスがニンフのエコーを失恋させた話から。 

・ 川野洋『芸術・記号・情報』 勁草書房 一九八二年

・ 谷口渥 編『記号の劇場(芸術と哲学)』 昭和堂 一九八八年

・ 浅沼圭司『象徴と記号‐芸術の近代と現代』 勁草書房 一九八二年

・ 福原泰平『ラカン‐鏡像段階』 講談社 一九九八年

・ 佐藤信夫『レトリック認識』 講談社 一九九二年

・ 丸山圭三郎『ソシュールの思想』 岩波書店 一九八一年

・ 高橋允昭『デリダの思想圏』 世界書院 一九八九年

・ ユリイカ 一九七九年/六月号 『世界の詩論』各章

・ 現代思想 一九八一年/七月号所収 R・バルト 花輪光 訳「テクスト‐その理論」

・ J・クリステヴァ 谷口勇 訳『テクストとしての小説』 国文社 一九八五年 

・ 同上 原田邦夫 訳『詩的言語革命 第一部‐理論的前提』 勁草書房 一九九一年

・ J・サール 坂本百大 他訳『言語行為‐言語哲学への試論』 勁草書房 一九八六年

・ R・ヤコーブソン 川本茂雄 他訳『一般言語学』 みすず書房 一九七三年

・ 同上 川本茂雄 他訳『詩学』大修館書店 一九八五年

・ T・トドロフ 及川馥 他訳『象徴表現と解釈』 叢書ウニベルシタス 一九八六年

2012年12月 1日 (土)

クロイツェル

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脊梁の温度は変わり無く、皎月の如き色にて馨った。

斯く女は我が意識への抽出を確固とした矜持により為した。

私は疼く意識下に反映させむとの態を示した。

奈何、変動を醸し出さむとも、不可解な病症に倒れるとしても、

私は眼前の白き肌を掴むのであろう。

痛む肘でさえ、明らかな意図を含む。

再び転回の予兆を知り得るのなら、瞞然として時空は応える。

懐く幻は染み入る傷口に対する恩寵として、

神経系への濾過を齎す。

これは昇華として新たな境地へと誘う。

白き女。この視覚こそが全てであった。

女は痩せた足を震わせながら、呼吸を重ねた。

時折、先端から深部に流れ行く輸液を弄び、

移ろう咆哮を繰り返した。

私が導き、女が設える行為は、

生の象徴を意味していた。

既に床に流れ落ちた心裡は、身体を実存在へと回帰せしめた。

この快楽は果てなく、体内に埋没する意識の疲弊へと繋がった。

併し、この倦怠とも避退とも捉え得る一端は、

次なる生意識を呼び起こすための糧と化していた。

女は嗚咽を吐き、

私はこの状態を自己の精神を堅持し、凝視した。

足は竦むが、愚かな皺が受け止める。

感覚への干渉を齎す愚かな襞。

以謂、危殆に更なる事態を託さむとも、

私は全てを受容し、抵抗の芽を摘み取る。

女は抵抗の茎を温める。

芽は死するとも、茎は甦る。

この一様が疼く快楽の源を沸騰させる。

斯くして、熱き流れに一滴の香水を与える。

それは涙を生じさせ、

瞬時に欠落する果敢無い我が快楽を救済した。

背の白き女は沈黙を許して、

我が体内へと入り込む。

否、充たされた微動する暗闇に、

存在の咆哮を届けるのであろう。

そして時流の崩落へと。

冀う。

我が二つの体は結び重ねられた儘、

太陽に晒されることを、

蒼穹に魂を粉砕されることを。

離されること無く、

地中への侵蝕を。

月光は繊細なる視神経を陥れた。

内面を流れる時流の断片、

歓喜を求める薬効。

言葉は我が鼓膜を叩き続けた。

神経を傷めることによって、

感覚に報いを。

女は微笑み、欲した。

噫、聴こえるのか。

凛とした女の粘膜が放つ響きが、

内奥へと伝う。

確かに女は存在していた。

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